とうとう50歳になってしまいました

今日は僕の誕生日。とうとう50歳になってしまった。

ということで僕のコンピュータ人生を振り返ってみようと思います。

コンピュータに興味を持ったのは、雑誌のI/Oを本屋で見てのがきっかけです。小学生であった僕にとっては、PCはTVゲームがタダでできる魔法の箱に映ったわけですね。興味を持つと抑えられないたちなので、学校の休みになると大阪の電気街の日本橋に通っては、朝から晩まで店頭の関数電卓やMZ80、PC8001を触りながら興奮していました。

そんなことをしていると、親が僕にMZ80K2を買い与えてくれます。どういう理由か覚えていないのですが、知り合いの電気屋さんから購入したのですが家に来た時にはとにかくうれしかったですね。早速I/Oに載っていたゲームのプログラムを入力して動かしました。最初に試したのは船から潜水艦を爆破するゲームだったような気がします。そんな雑誌のゲームを入力しては遊んでいることを繰り返していると、自分でもゲームを作りたくなってきます。当時ゲーセン通いもしていたので、流行っていたゲームをパクっては作るようになります。最初に作ったのは平安京エイリアンで、暴走してエイリアンが大量に出現した記憶があります。そのあと、完成しなかったものを含めてパックマンディグダグスクランブル、ゼビウスなどパクっていました。一応オリジナルなんかも作っていますが、どこかパクっていましたね。今なら許されないでしょうかI/Oとかの雑誌に載っているゲームのそういうのが多かったです。
そんなことをしながら日本橋通いもしていると、ひょんなことから雑誌RAMの編集の方と知り合いになりました。自分の作ったゲームを載せてくれるということなり、一生懸命原稿を書いて載せてもらいました。自分が書いた文書にかなり手が入ったものでしたが、高校時代の思いです。

大学はもちろんコンピュータ関係にしたいと思っていたのですが、当時はハードウエア関連がメインでよりソフトウエア寄りの学部を探しました。そうすると関西にはなくて結果関東の大学を受験することになります。第1志望の大学には落ちたのですが、希望の情報科学の各部に入学できました。このころAIの第2次ブームのはじめりぐらいで、Bitが僕の愛読雑誌になっていました。ナノピコ教室とか記憶に残っています。
東京にくるとゲームを作成するアルバイトがいくつもあって時給も良くかなり良い思いをしました。僕は複数の石(CPU)をつかえたので、できたゲームを別の石に移植するアルバイトしていました。PC9800,PC8800,FM7,X1,MSXなどいろいろ触りましたね。ただこの時にはゲームに興味がなくなっていて大流行していたファミコンさえ持っていなかったです。遊びは、冬はスキーで、あとはもっぱら麻雀をしているような状態でした。
大学の勉強は割に楽しく、一生の中で最も勉強していた時期だと思います。AIや認知科学とかミンスキーやマッカーシなんかですね。シンボリックなほうが興味があったのですが、たまたま今ホットなDeep Learningの原型のバックプロパゲーションに出会いました。この仕組みを利用すると学習ができるというのが面白いなと思い、いろいろ調べてりしていました。ふと、麻雀ゲームにこれを使うと面白いかもと思いアルバイト先の社長に相談すると、いいよということで作成することになりました。麻雀放浪記浅田哲也先生の家に行って実際にゲームをしてもらったりしたようで、今考えるとすごい行動力のある社長だったんですね。

大学も4年になって就職か進学かを考えることになるのですが、ちょうどバブルで就職活動をするとすぐに内定が出て、そのまま就職することにしました。今は無きDECという企業です。外資系にしたのは英語が苦手だったので、外資系にいけば覚えれるかなという考えからです。結局このあとも外資系に計25年以上いましたが英語はできるようになりませんでした。DECでは、てっきり東京で配属されると思っていたのですが、関西に戻ることになり、4年ぶりの関西生活になりました。ここから私のエンタープライズSI人生が始まります。
最初仕事はCADのグラフィックライブラリの修正作業でした。その後は制御系のシステム開発が多かったです。見積もりして工数管理して、プログラム作ってと何でもしていましたね。自分でいうのは何なんですがそれなりにうまく仕事をしていました。しかしプロジェクトにはリスクがつきもので、あるプロジェクトで失敗をしてしまいます。この時はかなり辛かったです。そこから何が悪かったのか、どこかに答えがあるのではという思いで、当時流行りだしたオブジェクト指向について片っ端から調べていきました。UMLやOOADなどの基本知識はそのころに吸収したものです。

DECがコンパックに買収されて雰囲気が悪く、あともっと尖がった人たちと仕事をしてみたいと思いMSに転職しました。MSには15年弱いたのですが大変なことも多かったですが技術的な面では楽しかったです。新しい技術にいち早く触れ、米国のセミナーに行くと本当に天才と思える人たちのプレゼンを聞き刺激いっぱいの生活でした。実際の仕事は技術支援やフレームワーク開発プロセス関連のコンサルを中心に続けていました。その中で感じたことは、このブログでもいくつかつづっています。ただ10年近くやっていると飽きてくるのと、別の興味もでてきて特にWebサービスで起業している人たちを見ていると何か面白そうな感じもしていました。あと、年齢をとってきて1コンサルとして続けるのも限界を感じていました。

そんなことで現在新しいチャレンジをしています。製品・サービスを作って展開していくことを狙っているのですが、なかなか難しくですね。いろいろ製品やサービスを作ることができるのですが、プロダクトアウト的な発想しかできず、このあたりを何とかしないといけないと感じています。生き延びるために一旦卒業したはずのSIの世界に戻らざるをえない状況です。
ただ、まだまだ諦めていないので、今後も頑張りたいと思っています。あるスタートアップの書籍に「悩むならプログラムを書け」とあり、最近の合言葉になっています。死ぬまでプログラムが書ければ本望という感じです。